「ダイアローグ・ギルティ」 そのJ


 三十分経っても、高瀬は食事を運びに来なかった。来づらいだろう。早く見せたかった。私のこの、清々しい顔を。
 だが、心の整理がついた後に頭に浮かんできたのは、どうやって高瀬があのゲームを潰すのか、という事だった。
 高瀬はこのゲームそのものを潰してしまう気だ。それしか二人を同時に救う方法は無い。だが、その具体的な方法を私も紅葉、楓も知らない。
「ゲームが始まる前に何かしてくれるのかしら?」
「分からないです」
 楓の言葉は重かった。
 ゲームが始まる前に行動を起こしてくれるなら、私達は何もしなくていいという事になる。だが、もしそうではなかったとしたら、こちらは高瀬の言われた通りにゲームを進行していかなくてはいけない。一回毎に三十分の時間があるが、あまりにじれったくやっていると怪しく思われる。
「ねえ‥‥今から私の言う事、よく聞いてくれない?」
 私は二人の肩を強く抱き締めた。二人は喜んで体を密着させてくれる。これで高瀬がいたら、父と母と娘に見られるだろうか。そんな事をふと思った。
「いい? 高瀬はきっと新宮寺って人をやっつけに行くと思うの」
「うん」
「きっと彼はそれだけで精一杯だと思うのよ。そこでね、私達も頑張って彼のお手伝いをしてあげようと思うんだけど、どうかしら?」
「‥‥何やるんですか?」
 楓の表情が曇る。私はそんな彼女の頬にキスをしてやる。
 高瀬が何をやるかは分からない。だが、何をしようとも、私は私であのゲームを壊したかった。自分自身へのけじめとでも言えばいいのだろうか。私に切っ掛けを与えてくれたのは高瀬とこの子達だが、そのけりは自分でつけたかった。
 それにこの子達を巻き込んでしまうのは可哀相だと思ったが、今私の考えている方法はこの子達無しでは成立しない。それに、この子達もあそこに連れていかれるのだ。ならば、三人で結託した方がいい。
 紅葉は楓は互いの顔を見合わせ、不安に押し潰されそうな顔になる。これからどうなるのか恐いのだろう。だが、それは私も同じだ。でも、何とかなる。私は今までだってずっと勝ち続けてきた。連戦連勝の女神とまで呼ばれたのだ。
 ならば、勝ってみせる。今の私には無くしてしまうものがある。高瀬とこの子達という大切なものが。失うものを持っている者は強いのだ。
「いい? よく聞くのよ」
 私は彼女達に耳打ちした。


「私、決めたわよ」
 私は前を歩く高瀬の背中を眺めながらそう言った。私の両隣には楓と紅葉がいる。手をしっかりと繋ぎ、離れようとしない。
「そうか」
 高瀬は後ろを振り向く事無く答えた。それ以上、何も言おうとしない。
「知りたくないの? どっちにしたか」
 私が聞くと、高瀬は首だけを曲げ私を見た。そこにあった顔は穏やかで、安堵に満ちていた。
「顔を見れば、すぐに分かる」
「そんなに顔に出てるかしら?」
「ああっ、一目で分かるよ」
「‥‥ふふっ」
 今までこの長い廊下を歩く時は、いつも欝屈した気分だった。でも、今日はだけは違う。高瀬と楓と紅葉に囲まれ、まるでどこかにハイキングに行くかのような気分だった。
 でも、そう安易な事も言っていられない。笑うのをやめ、顔を上げる。
「ねえ、私達は何をすればいいの?」
 そう聞くと、高瀬の表情が暗くなり、再び前を向く。
「‥‥少しだけ待っていてくれ。全てを終わりにして戻ってくる」
「何もしなくていいの?」
「‥‥時間はかかるかもしれない」
 高瀬自身、どうなるか分からないようだ。すぐに終わるかもしれないし、終わらないかもしれない。もしかしたら、戻ってこないかもしれない。
「‥‥」
 首を振る。嫌な事は考えないようにする。やる前から良くない事を考えてもいい事は無い。
「高瀬、私は私でやるわ」
「どういう事だ?」
「あなたの手は煩わせないって事よ」
「‥‥何をする気だ?」
 高瀬が立ち止まり、振り返った。怪訝そうな顔をしている。私はそんな高瀬の肩を叩き、頬にキスをした。初めて自分から高瀬にキスをした。
「私は私でけりをつけたいのよ」
「楓と紅葉は?」
「協力してもらうわ。大丈夫、絶対に傷つけさせないから」
「‥‥分かった」
 高瀬は強く首肯いた。その顔に、暗さは無かった。
 そんな高瀬のスーツを楓が突く。
「絶対に戻ってきてね。もう、私達二人だけになりたくない」
「分かってるさ」
 高瀬はしゃがみ、楓の頬にキスをした。すぐに私も、と紅葉も高瀬に駆け寄った。



 〈神谷瑞樹 対 高瀬楓 対 高瀬紅葉 ダイアローグ・ギルティ開始〉
 会場内はいつもと変わらない。二階で色めき立つ観客達、出入口の所で立っているスーツ姿の男二人、肌寒い熱気、背筋に走る冷たい悪寒、三つの椅子に、その上に置かれた拳銃‥‥。
 しかし、その中で私と楓と紅葉の三人は互いの顔を何度も力強く見合わせ、これから起こるであろう出来事を考えていた。
 私達三人は、三角形の形をして立っている。おそらく、私が紅葉、紅葉が楓、そして楓が私に銃口を向ける態勢でゲームをするのだろう。
 一つ小さな咳払いをする。それが合図だった。楓と紅葉は恐々と拳銃を手に取る。それを見た私も拳銃を握り、シリンダーを外して中を覗く。勿論、そこには一発だけ弾が詰め込まれている。
 作戦はこの弾がいつ飛び出すかで全てが決まる。遅ければ失敗する。誰にも気づかれないように、何度も小さな深呼吸を繰り返す。
「では、神谷瑞樹。シリンダーを回しなさい」
 言葉が聞こえた。私はもう一度大きなため息を吐くと、一気にシリンダーを回した。それをじっと見つめる楓と紅葉。私は回り続けるシリンダーを凝視する。シリンダーは段々とその速度を緩めていく。よく見れば、弾がどこにあるか分からなくもない。一定のリズムでシリンダーから弾が覗く。私はその弾の場所を見極め、ハンマーを引いた。
 指の感覚だけが頼りだった。その感覚によれば、弾は一番上、つまり、一発目に装填されたはずだ。確かな事は分からない。しかし、そう願うしかなかった。
 続いて、楓がシリンダーを回す。弾の見極め方のテクニックなど無い。彼女の目と感覚を信用するしかない。拳銃の使い方はちゃんと教えた。どうやってシリンダーを回すかも教えた。あとは彼女の指と目に賭けるしかない。
「‥‥」
 私よりも長い時間、シリンダーは回り続ける。確実にシリンダーの速度は緩くなっていく。そしてシリンダーが止まる寸前で、楓はやっとハンマーを上げた。楓の顔にはびっしりと汗が浮かんでいた。
 次に紅葉の番になる。紅葉の様子は挙動不審に見えた。まるで生まれて初めて人の体にメスを入れる新人医師のように、目は充血し、手の平からは脂汗が滲み出ていた。
「‥‥」
 紅葉は怯えた子猫のような瞳で私を見る。私は何も言わず、強く首肯く。
 私の顔を見た紅葉は、口を真一文字に結び、シリンダーを勢いよく回した。シリンダーの回転音が、二階の騒めきを消し去る。
 紅葉は目を閉じ、ハンマーを持ち上げた。まだ遅いとは言えないシリンダーのスピードが一気に止まる。正直その様子を見て、そんなに早くて大丈夫なのだろうか、と思ってしまった程だ。だが、紅葉の目は何か絶対的なものを感じさせた。
 生きたいと強く願っている者の目だった。
 三人の準備が整うと、自然と辺りに深い沈黙が立ちこめた。まるで何かの儀式のように、誰が命令するでもなく、静寂が会場を覆った。
「‥‥」
 まだ何も起きない。高瀬は一体何をしているのだろう。だが、ずっと待っているわけにもいかない。私は私でけりをつけると決めたのだ。
「神谷瑞樹、高瀬真楓、高瀬紅葉の順番で行なう。一番は神谷瑞樹」
 私は空を仰ぎ、空気を肺いっぱいに取り込んだ。これで終わりにしよう。罪は消えないだろう。でも、それでもいい。罪さえも抱えて、これからも生きよう。
 それが、真一、もう一人の私の望んだ事なのだから。楓、紅葉、高瀬の望む事なのだから。
「ではただいまより、ダイアローグ・ギルティを行なう。主よ、我らの罪を洗い流したまえ」
 私の、最後のゲームが始まった。


第5章・完
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